HIPHOPDreamを掴んだ男

StreetからHIPHOPDreamを掴んだ男の物語。数々の困難・苦悩・裏切りを乗り越えたこそ吐き出す言霊。Streetからキングに上り詰めた尾張小牧の地方馬が、日本全国をREDMAGICで鷲掴み。もはやヘイター共までが中毒症状に落ちる緊急事態発生源の張本人。

    カテゴリ:AK-69 > B-NINJAH&AK-69

    B-NINJAH&AK-69の楽曲まとめ

    B-NINJAH&AK-69の楽曲をまとめて紹介します。


    B-NINJAH&AK-69の楽曲への想い

    B-NINJAHは自身の楽曲について「私生活の中で実際にあったことや、自分が感じたことをそのままリリックにして歌っているので、綺麗ごとよりもストレートに身近で人間臭いものを作りたいと思っている。自分が経験したことを聞いた人がちょっとでもかすめるぐらいのノリで伝えたい」語っています。

    AK-69は自身の楽曲について「歳をとるにつれて物事の裏側が見えるようになったので、そこで問題だと思うことがあれば、声を大にして歌っていきたい」と語っています。

    「B-NINJAH&AK-69」の楽曲は、音楽的なバックボーンが微妙に違うB-NINJAHとAK-69だからこそ表現できる作品になっています。

    結成から4年後、B-NINJAH&AK-69は1stアルバム「DA REAL THING -from the street-」をリリースしており、このアルバムは名古屋ヒップホップのクラシックだといわれています。

    B-NINJAH&AK-69の情報まとめ

    「B-NINJAH&AK-69」は、レゲエDJのB-NINJAHとラッパーのAK-69によるヒップホップユニットです。

    B-NINJAHはもともと日本のパンクなどを聴いていましたが、そこからダンスホールミュージックを聴くようになっていき、ヒップホップやレゲエにハマっていき、レゲエアーティストとして活動するようになりました。

    AK-69はラップを始める前は歌を歌っていましたが、その後、ラップの表現方法やビートに魅力を感じて、「自分がが思う色々なことを表現して歌えるな」と思い、ヒップホップにハマっていき、ラッパーとして活動するようになりました。

    B-NINJAH&AK-69は名古屋周辺地域で主に活動を展開し、2001年にプロモーション用に制作したデモテープ音源がアンダーグラウンドシーンで話題になりました。

    その後、M.O.S.A.D.を中心にしたヒップホップクルー「POUND」に参加して、活動の幅をさらに広げていき、アルバムもリリースして人気を集めていきました。

    しかし、2007年3月にB-NINJAHの都合により、B-NINJAH&AK-69としての活動は終了することになります。

    B-NINJAH&AK-69の結成のきっかけ

    B-NINJAHが愛知県春日井市出身で、AK-69が小牧市出身出身ということもあり、1999年にレコード屋で久しぶりに再会したのがきっかけで、2人はコンテストに出場することになります。

    その結果、正式にヒップホップユニット「B-NINJAH&AK-69」結成して活動するようになります。

    「B-NINJAH&AK-69」というユニット名については、個々でやっていることがあり、あえてユニット名を付けていなかったとコメントしています。

    B-NINJAH&AK-69

    カテゴリ : インタビューファイル

    掲載: 2004年01月29日 12:00

    更新: 2004年01月29日 18:42

    ソース: 『bounce』 250号(2003/12/25)

    文/一ノ木 裕之


    「もともと聴いとった音楽が日本語のパンクとかで、そっからレベル・ミュージック的なダンスホールものにいって、〈あっ〉って。肌に合ったって言い方がいいと思うんですけど」(B-NINJAH)。

    「ラップをやる前に歌を歌ってたんですけど、ラップの表現がいいと思った。それまでも聴く環境はあったんですけど、だんだんビートにやられていったんですよ。 で、その後リリックにトバされて。俺が思ういろんなことを表現できる、歌えるなって思って。表現方法として純粋におもろい」(AK-69)。

     名古屋のサウンドであるGUIDING STARのDJとして、同サウンドが主宰するレーベル、RED HOTを中心にしながらダンスホール・レゲエ界隈でコンシャスな楽曲も発表してきたB-NINJAH。M.O.S.A.D.など名古屋関連アーティストの楽曲において、Kalassy Nikoff名義でシンガーとしての活動も行ってきたAK-69。いずれも名古屋の近隣に位置する小牧、春日井という地の出身である2人が99年、とあるレコード屋でのひさしぶりの再会を機にコンテストに出場、その結果をもって正式にユニットを結成。それから4年近くの時を経て、ついにファースト・フル・アルバム『DA REAL THING -from the street-』をリリースするに至った。

    「個々でやってることがあるんで」(AK-69)。

    「だからあえてグループ名も付けてない。付けられなくなっちゃいましたね(笑)」(B-NINJAH)。

     そう話す、音楽的なバックグラウンドも「微妙に違う」(B-NINJAH)2人には、偶然がもたらしたというべき道のりの交差への気負いはまったくない。だからこそ、彼らの曲には身近で起こったことをそのまま、時にストーリーを伴って歌詞に写し込んでいる。

    「私生活のなかで実際にあったことや、自分が感じたことをそのまま歌ってるんですよ。きれいごとよりもストレートに、身近で人間臭いもんを作りたいし、人間臭いもんが好きなもんで。自分が経験したことを、聴いた人がちょっとでもかすめるぐらいのノリで伝えたいなっていうのがある」(B-NINJAH)。

    「リリックを読んどって〈ふーん〉って思うものよりも、〈あー、わかる〉っていう歌にやられるよね、パンクでもロックでも歌謡曲でも。胸にくるリリックってあるじゃないですか。そういうものがいちばん」(AK-69)。

     M.O.S.A.D.やPHOBIA OF THUGを筆頭として、名古屋の一翼を担うアーティストたちの音楽にあるギャングスター的アティテュードは、リスナーのファンタジーや憧れを喚起しうるものだし、2人の音楽にもそういった面は少なからずある。2人がそんな名古屋勢と響き合うのもそこに価値観の共有があるからだろう。しかし、それ以上に2人にとって大事なのは、自分らの音楽がレベル・ミュージックであるという意識だ。彼らは周りに溢れる音楽に対する嫌悪を隠さない。

    「ラップが言葉遊びから始まった音楽なのは確か。でも、ディスするわけじゃないんですけど、〈しりとりじゃねぇんだで、おまえ〉みたいな曲が売れて、ワーッと言われてる。それを見てると、そんなかに自分たちの曲をブチ込んでいけたらいいなって思いますね。音楽の形がそうやって決まってきちゃってるけど、そうじゃねぇんだよっていうのがあるし」(AK-69)。

    「メッセージは今のような時代にこそ必要だと思うんですよ。なのに、バブルの時はバブルの時でお祭り騒ぎをして、今も今でこういう時代なのに、普通に〈すべてを忘れよう〉みたいなチャンチャラしたような歌しかなかったら、いつになったら日本はそういうメッセージに耳を傾けるのかなって」(B-NINJAH)。

    「歳食ってくるにつれて物事の裏が見えるようになってきた。そこで問題だと思うことがあったら、もっと声を大にして歌っていきたいですね」(AK-69)。

     新しい年に向けて着手するという2人のソロ・ワークも含め、この先よりそれが形になっていくことを期待したい。

    PROFILE

    B-NINJAH & AK-69
    99年、レゲエDJのB-NINJAHとラッパーのAK-69によって結成。名古屋周辺地域において活動を展開し、2001年にプロモーション用に制作したテープ音源がアンダーグラウンド・シーンで話題となる。その後、M.O.S.A.D.らを中心に、ヒップホップ、ハードコア・パンク勢が集ったユニット、POUNDに参加。2002年には自身のファースト・シングル“THE ONE TIME -WAKE UP MY HOMIES”を発表し、その名を全国に轟かすようになる。イグジビットやフロストといった海外のヒップホップ・アーティストとのライヴ共演やオープニング・アクトを務めてさらなる話題を集めるなか、待望のファースト・アルバム『DA REAL THING -from the street-』(MS)をリリースしたばかり。

    名古屋のラッパーTOKONA-Xは今でも超有名ですよね。

    でもね、名古屋052はTOKONAだけではないと言うことを知ってほしいんですよ。

    あの時代の名古屋のラッパーはみんな本当にカッコよかった!

      



    B-NINJAH&AK-69【名古屋のレジェンド】TOKONA-Xに負けぬくらい超有名なAK-69

    昔はコンビだったんですよ!?

    僕はコンビ時代の方が好き!!


    これこそリアルストリートヒップホップ!!

    B-ninjahあってこそAK-69が活きると思うんですよね。

    当時の名古谷シーンを支えていたヘッズは皆そう思っていたはず。

     

    2000年代前半の名古屋のクラブシーンを大いに沸かせていましたよ。

    最初に出したシングル(警察DIS SONG)

    one time wake up my homiesは伝説中の伝説。

     

    二人が解散してしまい、本当に残念です。

    B-ninjahは現在一人でレゲエを続けて居ます。

    出所後に発売したアルバムも良い出来でした↓

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